フルトヴェングラーを聴きながら

10代の頃
高専中退して必死で描いていた頃
でも、自分の中には
ひとつも無かった。
絵で商売しようなどとは。
ただ、絵を描かねばならないと思った。
描いて描いて描きまくらなくてはと思った。



美大教育には何の関心も無かった。
上野の公募展の入選作にも感動しなかった・・
というより頭痛がして、気分が悪くなった。



昔の画家のような
心の根底から揺り動かされる感動を描いた
絵描きになりたかった。
本当の意味での
つまり生き様としての画家に。



そんな中、毎日聴いて感動していたのが
フルトヴェングラーが指揮するベートーヴェン
カラヤン指揮の整えられた印象よりも
情念を感じるのだ。
モノラル録音だが素晴らしい臨場感。
ユダヤ人の音楽家を擁護さえしたのに
後にナチス協力を疑われたりしたが疑念は晴らされた。



でも、以前は、この時期の音楽を聴くのは恐怖だった。
あの頃の自分、狭量の追い込んだ、肉体を蝕んだ日々に
連れ戻される気がしたのだ。
数日前に見つけてCDを購入し
昨日 久々に聴いた。
素晴らしかった。



昨日、一昨日と大して制作は進まなかったが
こうした苦しみもあって
音楽や絵画は産み出されてきた。
少なくとも、流行のカバーやコピーや目先のものでなければ。
さあ、絵を描きなさい。
あなたは、絵を描くから
絵描きなんだよ。



昨日は終日10℃以下で寒かった。
飼い猫フーが、布団を出たり入ったりするから
よけいに寒いやい!
へいっくしょん。