先日(10月25日)、津山のおじちゃんの訃報が届いた。
思い出が蘇る・・おじちゃんが、私の進路を決めさせようと、
私が津山で描いていた油絵を、地元の画家に見せに行った(私も同行した)ことだ。
中学2年頃、岡山県津山市滞在時に油彩で描いた「廃墟の家」。
幼い頃、安岡町の高台に向かい遊びに行った場所。
人住まず崩落寸前となってしまった家から、
「面影」のようなものが発せられ、なぜか絵にしたいと思った。
ホームページの「いちまいの絵」に加えるのを躊躇したくらい未熟な作品。
油絵を中学入学で初めて、これがまだ8作目くらいだと思う。
口で話す以上に絵を描いてばかりいた私だが、
職業画家になったらおしまいだと凝り固まっていた。
連れて行ってもらった画家の絵にも、失礼だが気持ちが入らなかった。
どうやったら売れるかという「所謂 売り絵」だと感じた。
おじちゃんが私の絵を見せて、「先生、どうですかいのう」と聞くと、
「はあ、絵にはなっとりますわなあ。
この人たちのは(教室で習っていた人の絵)は、まだ絵になっとりませんからなあ」
と答えた。
帰ってから、「お前が弟子入りしたいなら、口を利くぞ」とも言ってくれて、
私が同意したら、父も納得したかもしれないが、
私は行くと言わなかった。
心の奥底から感動したものだけを描くのが「本当の画家」であり、
そのためには、別の生活手段で生きるのが本来だ・・などと、
未熟なくせにとがりまくっていたのだ。
おじちゃんが亡くなって思い出した「この出来事」は、
今も、それで良かったと思っている。
自分があるのは、いまだに下手であっても、
心からのものだけを半世紀にわたり描いてきたと、
はっきりと言えるからだ。
でもおじちゃんのオモイは、とても暖かく滲み出る。
私を深く愛してくれて本当にありがとう。
今 私は曲がりなりにも副業を持たず、絵だけで綱渡り生活が出来ています。
【廃家・面影】
Ruined house
キャンバスに油彩 52×45cm