心に春を

昔、知人の少女が年配の男性にこう言われた・・
『春ですねえ』
少女は、自分が『馬鹿か』と言われたと思ったそうだ。
冬が過ぎて、暖かくなり、薄いピンクのシャツを着れるようになった
その香しさが言わせた年配の喜びの言葉だった。
でも春は、少女の連想のように『浮かれた』イメージもある。
綺麗ですね、癒されますね、さわやかですね・・などと
自分の絵について連発されると 異なる連想『軽いですね』がよぎる。
言葉のせいではなく、自分が絵で『進もうとしているから』なのだ。それでいい100点満点の絵などないのだ。
制作の際に、努力不足で満点が取れなかったとは思っていないし
未完成の絵を買ってもらったなどとは毛頭思ってない。
自分って凄い(先生)んだとか、良い絵を完成させたと満足した瞬間
絵描きは作家ではなく、ボタニカル(商業)アートに成り下がる。
進まないで 判を押したようになぞる作業になるからだ。
反面、作家の心は『自らを否定し続ける“闇”』に進んではならない。
心に春を
厳寒に絶えて、光の届かぬ地中で、継続して根を張って
命を守り続けた『春』
それは決して 浮かれても 中途半端でもないのだ。
そうした『春』が心にあれば 絵を揺り動かすことが出来るはずだ。
作品は『春開く窓』個人所蔵