愚かな政治の戦争加担によって学徒動員され、
貴重な命と人生を奪われた
当時(昭和18年頃~)20代の画家志望の学生の方々の作品を、
野見山暁治さんとの出会いがきっかけで
窪島誠一郎氏が収集した約700点の作品を収めた
作品自体は、美大のアカデミック教育の延長線上のものではあるが、
婚約者や親族に当てた手紙などを見て、
【絵を描くために生きて帰らなくては】という、
彼らの強いオモイを受け取った気がした。
【秩父の山並み】をペインティングナイフで描いた吉岡辰雄さんは、
昭和20年8月19日(本土では玉音放送が流された8月15日の4日後)、
沖縄で戦死した。おそらく秩父の方か・・さぞ無念だっただろう。
整理などできない多くの気持ち・・別の機会に投稿できるようになるかもしれない。