星屑3部作

絵を描くのは山登りに似ている
今の私は、そう思う。ヤッケを岩に打って足に掛け
少しでも前に、上に進む・・・。
自分の中に無数の点のように散りばめられた印象と感動は
生活や持病という砂吹雪に吹き付けられて
忘却の砂漠の中に埋没しそうになる。
それが生活だけでなく、毎日、次から次へと
違う感動という点が入ってくる。
気が狂いそうになる。花火のように入ってきた輝きは
画布に投影しようとすると、どう自分の中で開花したかを見失う。
どんな音を、どんな流れを、どんな動きを、どんな空気を、どんな
どんな、どんな・・・・
描かないと、産まれるはずの命を、自分の不世話で 水子にしたような
いたたまれない気持ちになる。
描けば描くほど、こんなんじゃなかったと自分の心が自分に否定する。
しかし、描き続けなければ、それさえも分からない。
描けない時は描かなくて良いんだなどというのは、
時間が無いなどというのは
プロの精神を持つ作家の言うことでは無い。
自分にとっての大事度で、その人が使う時間が決まるものだ。
別に脅迫概念で絵を描いているのではない。描きたい衝動なのだ。
描かないと生きていられないのだ。描かない自分は、水を得ない植物だ。
ようやく点と点は繋がろうとしている。自分の感動という荷が
作品という存在に下ろせる日が近づこうとしている。