昨日も猛暑で、ようばけの手前の化石館裏で、賢治に思いを馳せ、涼をとりました。
大正5年(1916年)賢治と保坂(『銀河鉄道の夜』のカムパネルラのモデルとも言われる)一行は、秩父を訪れました。
「石っこ賢さん」と言われるほど地質学に詳しかった宮沢賢治にとって、
小鹿野のようばけは、嬉しい驚異だったに違いありません。
保坂嘉内は、ようばけのことを
「この山は小鹿野の町も見へずして太古の層に白百合の咲く」と詠み、
賢治は
「さはやかに半月かかる薄明の秩父の峡のかへり道かな」と詠んでいます。
私は、最初にようばけを見たときに、龍が動くのを感じたのですが、
彼らも見たでしょうか?