日本の6月(ジューン)は、梅雨の時期で
快晴の空が見えず、来る日も来る日も雨ばかりで
洗濯物が家の中にある、うっとおしい季節でもある。
不思議と子供の頃は、私自身この時期を
『また雨か、いやだなあ』と それほど思わず
むしろ長靴で水溜りを踏んづけることが許され
傘に落ちる雨音を太鼓の響きに聴いたり
傘を回転させて、しずくを花火のように飛ばしたりした。
道に咲く『この時期だけの』色とりどりの紫陽花
いくつもの盛り上がった丸
広がるイメージに喜んだ。
でも、カタツムリは苦手だったな・・だからこの絵には登場しない。
この絵は、自分の中に見えるたくさんの色や動きのかけらを
すべて画布に出すのを許した。
象徴的に言って、今は快晴が見えない社会に思える。
今日も雨か、また明日もそうだろうと落ち込まないで生きたい。
ものごとの一つの面だけを全体のように捉えなかった
子供の視点を 成長・・いや老いた今の子供の自分の視点を加えて
このような絵になった。
スペインで見たフェスタ(祭)は、幼い少女がフラメンコの衣装を着て
夜空に花火が舞った。
ジューンというと六月の花嫁を連想するが、
日本と違ってヨーロッパは、1年で最も雨が少なく復活祭も行われる時期。
梅雨だけの美しさと光や響きを楽しみ
復活を待ちたいものだ。
輝く瞳を見開かせるか試行錯誤したが、
感じている表情がふさわしいと思った。