ワン。トゥルー・シング


一番大切なこと


日常の雑事に追いまくられる。
あれも、これも!
評論家のような、こんな意見がある
『あれもこれもではなく、あれかこれかにしなさい』と。
でもそんなこと言ってられない!皆その時こなさなくてはいけないのだ。
また、ある絵を描く女性が こんなことを言った・・
『男の人が絵を描くのはいいですよね、私には家事とかで暇が無くて・・』
暇が無くてと言う言い方に、その人の心の粗雑さを感じた。
家事全般は私もやっている。女性だからと言って甘えるんじゃあないよ!
要はその人の情熱の問題を刷り返るな!と。・・・まあ良いか。
決め付けた自己憐憫の湯にずっとつかって、人を皮肉れば良い。


こうした中で私は、ああ今日もあの絵に筆が進められなかったなあ とか
イメージが画布に投影できなかったなあと、空しく思える時も多い。
昨日の疲れを引きずった今朝も、
1秒を争う中、少しでもと思って、残り飯と残り鮭でにぎったもの
無様な形ではあるが・・・互いの健康や幸せを願っていること・・
これ・・ワン・トゥルー・シング・・では無いだろうか。
恋人の歌を歌うのに、家事をやりながらなんて出来ない と言った人がいる。
私は、パートナーのためなら喜んで家事をやる。
パートナーは、結婚しても私の恋人であり、こうするのは歌だと思うからだ。
筆を進めるのは、アオリの効く『作業』ではない
進まなかったのは不本意だが、この 大切な真実 が出来たことは
絵を描いたことに等しい・・とても大切なことだと信じる。


女好きで金にダラシの無いある絵描きは、文章では愛を饒舌に唱えるが
その実、女性を何人も性の餌食に『おとした』ことを私に嬉しそうに誇り、
また影で私の絵を中傷し続けてきた。・・いやこんなこと書くなんて女々しいぞ
・・・他人のことはどうでも良いじゃあないか。放っておくに限る。



昨夜は、中華そば(醤油)を作って二人で美味しく食べた。
これからも『よそ』に気を煩わせず、自分に何をしようが
ワン・トゥルー・シングを大切にしたい。