絵描きのタイム  10円生活者


絵描きのTIME

一昨日(3/15)は午前11時頃
ひかり電話工事だった。
パソのネット接続も
ADSLから光に替わり高速となった。
wakwakの変更した登録情報が見当たらず
繋がらず、2時頃まで未遂に終わった。

風呂に入って出かけようとしていた際
玄関のピンポンで出ると
『お宅の瓦をこの坂の上から見ると・・
今 そこで屋根の補修をしているのだが・・
ついでに補修しましょうか?
ここから見ると傾いているのがわかりますよ。』
仕方なく上は下着、下はジーパンで出て見る。
向かいの家の方の敷地なので、その方も
『どうしたの?』などと出て来て
またその瓦屋が『これこれしかじか』と説明する。
私 『中古で購入した古い家なので、多少はあるでしょう』
瓦屋 『いや、まだまだ瓦は古くなく、大丈夫ですよ。
いくらもかからないし、今すぐ出来ますよ』
私 『今出かけるところだから』
瓦屋 『え?誰が?いつ?』
私 『私が! 今!』
たぶん、プロから見て忠告の意味もあっただろう・・
そういう意味では親切心もあったかもしれない。
しかし、それだけなどとは言わせない。
だいたい、工事と無関係な人の家の
古くなく大丈夫の瓦を指摘して
商売のために、暢気に訪問して、
ただでさえ少ない絵描きの大切な時間を奪うなと言いたい。
風呂にも入れず、すぐに走って行ったが
おかげで、しっかり電車に乗り遅れ、
秩父は一時間に2本しか無いんですよ(泣)
駅で30分待ち、スケッチも出来ずじまいだった。
自分も 20分くらいの出来事で怒るなんて・・疲れてるなあ。
外から来るもので振り回されて、描けなかったなどと嘆くなよ

途中 高麗川を眺めながら
花粉と車内の香水を振り払い
パートナーのもとへ向かう。
逢ってすべては癒され、自宅へ共に向かう。

夕餉は 新ものワカメ(春告げ若芽)、昔のモヤシいため
ホタテと卵のチャーハンを
美酒と共に味わう。


10円生活者(3/16)


私の小さい頃は
ダイワ銀行というのがあって
貯金用のマスコットがもらえた。
母親に励まされ お使いのお駄賃などを入れて
貯まると、銀行の窓口に行き
お姉さんに褒めてもらうのが嬉しかった。
その頃から『ませて』いたのだろうか?
あるいは『すけべえ』だったのだろうか?

今の銀行で、そうしたことが喜ばれるだろうか?
小銭を調べたり、褒めながら対応できる心を
もって仕事ができる人が 窓口にいるだろうか?
マニュアルは、最低限の”しばり”のはずなのに
マニュアルにそってしか出来ない人ばかり。

小銭の10円が1万5千円近く貯まったので
銀行で貯金するのも 感謝されない気がして
10円で 生活することにした。
電気代を コンビニで支払う。
電車の切符を買う。
これは 困った?
え?切符販売機って、10円は20枚しか入らないの?
300円以上かかる切符を買えず
駅員の窓口も混んでいるようだし
170円を買って、改札を出る際に
『はい、残りこれが不足分ね』と渡した。
親切な駅員さんで、笑顔で対応してくれた。

でも、なぜか妙に萎縮して気を遣っている自分がいる。
10円だって りっぱなお金だ。
1円安いからといって、違うスーパーへ買い物に行く人だっている。
なおさら、10円は恥ずるところのない流通貨幣ではないか。

使い捨ての価値観に染まった現代では
そんなことに耳を傾ける人はいないか・・。

10円で ちょっとした『生活』をしてみて
現代の 便利さの裏にある ゆがみ を垣間見た気がする。

昨日3/16は 朝 鮭ハラス ホタテの炒め物 卵焼き
夕餉は ボルシチ パスタ(干しイカを戻してトマトとニンニクとバジルを和えた)
疲れて 10時半頃 眠る。