異な玉子・・たわいのない日常を「あどけなく」思う?

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いつもと同じ繰返し・・それが凡庸な日々ならば、

これは異なことと感じるのは、

けっして たわいのない日常ではないはず。

この玉子で私は、10個パックではない、生々しい命の鶏を感じたのだから。

フクシマの空を想ってつぶやいた智恵子の言葉は、

けっして「あどけない」ものではなく深いもので

「取るに足りない」「たあいのない」ことではなかった。

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