天皇訪問のペリリュー、その戦いと島民保護


戦後70年で天皇が切望していた、パラオのペリリュー訪問が
実現した。もっと早く玉音放送(ぎょくおんほうそう)が流されていれば
ペリリュー島硫黄島、沖縄の地上戦と広島・長崎の悲劇は免れたはずだが、
政府軍部の反対勢力の中、困難だったことは、放送を阻止しようとしたことからも
察することは出来る。
2か月半近くもの期間、アメリカの圧倒的な戦力の前、持久戦を続け
一万人以上が戦死した。あまり語られていないが、
地元の島民を、いち早く日本兵が避難させたので、彼らは全員、戦火から免れた。
沖縄の人を見放して、集団自決させた日本軍とは大違いだ。
お国のために、天皇陛下万歳と死んでいった人々
尊い死の御霊を・・などという政府・・当時彼らを死に追いやって
人々の人生を奪ったのは、誰だろうか?今またきな臭い動きを感じる。
上の画像は、こちらからです。
http://matome.naver.jp/odai/2140776979681509501

[昨日の断片]150409