今朝も起きた
紙に交響水彩 個人所蔵
夜私の布団に入ったミーが、朝方頭を出していた。
私は言い知れぬ思い・・感動、哀しみ・応援の気持ち・・
を覚えた。
赤子のような状態で捨てられたのを、友人から
私が引き取って18年になる。最近は痙攣したりするように
なっていたが、こいつは、日に日に迫る自分の体内の
足音のようなものに耳を傾けて、その重みを
噛み締めているのではなかろうか?
凍結した窓が、曇りガラスから緩んだ風景を映し出す頃、
静かに目を覚ますと、階段を、頭をぶつけながら降りて
必ず私を玄関まで見送ってくれた。
このところ疲労の重い石が、毎日一段ずつ肩に積まれる感じ。
先週水曜から始まった重労働の石は6段となった。
寒い、痛い、重い・・泣き言を言うな。
自分も がんばらなくては。
人間は利己的なものなので、今の自分が 最も大変と思い込む。
今朝も起きたのだから 生きなくては
自分のため、生活のため 制作のため 愛するひとのため
そして、命を大事に燃焼していった友たちのためにも。
この文章のもとは 2009年1月に書きました。
愛猫ミーは、2007年の秋に亡くなりました。
[昨日の断片]150108