平和展で個人的に平和を考える


平和という言葉は、当たり前のように使われてきた。
Vサインしながら写真を撮る人でも
ピースピースなんて、軽くも使われている。
核の脅威を体験した唯一の被爆国であるはずの日本が
今、危うい方向へ、危うい政治の基に進もうとしている。

こだいら平和美術展の会場の、足擦り跡が染みた床を
先日じっと見ていたら、
搬入搬出、照明だけでなく、様々な準備をされる運営の方々の
御苦労を想った。
合同の展示で、特に会派でない作家を集めるのは とても有意義だが
まとめる方は大変だと思う。
中には、あの人とはどうも・・または、自分を差し置いて・・などと
(平和展のことでなく)いう先生方とも応対しなくてはならない。

個人的に思う・・平和とは、武器とか核の排除とかそういうことが
根本ではないんです。
答えが完全にひとつではない、複数ありうることを認める
多様性を理解する ということだと思うのです。
であれば、あいつは許せない という感情から守られて
罵声を浴びせるより、殴るより、武器を という連鎖を回避できます。
ねたみ、序列意識、動機を疑う、自分の否を見つめない、中傷、陰口、それらは、もう平和とは真逆の道なのです。