サミュエル・ウルマンの詩 青春

ユダヤ系ドイツ人のサミュエル・ウルマンは、
ナチスの迫害を避けてアメリカへ渡り
荒物商を営みながら執筆を続け、
80歳の記念に『80歳の歳月の高見にて』を自費出版しました。
そこに収められた詩のひとつが"YOUTH"(青春)です。

こうした才人が 一般の仕事をしながら執筆し、老年で自費出版
聞くだけで、私は涙が出る・・
私などまだまだで、とても励まされた。
以下が その詩です。


青春とは
人生の或る期間を言うのではなく
心の様相を言うのだ。

優れた創造力、逞しき意志、
炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、

安易を振り捨てる冒険心、
こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。
理想を失う時に初めて老いがくる。

歳月は皮膚のしわを増すが、
情熱を失う時に精神はしぼむ。

苦悶や、狐疑や、不安、恐怖、失望、
こう言うものこそ恰も長年

月の如く人を老いさせ、
精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと、十六であろうと、
その胸中に抱き得るものは何か。

曰く驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、
その輝きにも似たる

事物や思想に対する欽仰、
事に処する剛毅な挑戦、小児の如く

求めて止まぬ探求心、
人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く 
疑惑と共に老ゆる。

人は自信と共に若く 
失望と共に老ゆる。

希望ある限り若く  
失望と共に老い朽ちる。

大地より、神より、人より、
美と喜悦、勇気と壮大、

そして
偉力の霊感を受ける限り
人の若さは失われない。

これらの霊感が絶え、
悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、

皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、
この時にこそ

人は全くに老い
神の憐れみを乞うる他はなくなる。

実は この詩をよく読むことができたのは
知人で郷里の叩き彫り作家 山田 尚公さんの記述からです。
http://www.h3.dion.ne.jp/~tadaka/

こういう訳もあります。

青春とは人生の一時期のことではなく
心のあり方のことだ。

若くあるためには、
創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、
安易(やすき)に就こうとする心を叱咤する
冒険への希求がなければならない。

人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。
理想をなくした時老いるのである。

歳月は人間の皮膚に皺を刻むが情熱の消失は心に皺を作る。

悩みや疑い・不安や恐怖・失望、
これらのものこそ若さを消滅させ、
雲ひとつない空のような心をだいなしにしてしまう元凶である。

六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、
驚きへの憧憬・
夜空に輝く星座の煌きにも似た事象や思想に対する敬愛・
何かに挑戦する心・
子供のような探究心・
人生の喜びとそれに対する興味を変わらず胸に抱くことができる。

人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。

自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。

希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。

自然や神仏や他者から、美しさや喜び・
勇気や力などを感じ取ることができる限り、その人は若いのだ。

感性を失い、心が皮肉に被われ、
嘆きや悲しみに閉ざされる時、人間は真に老いるのである。

そのような人は神のあわれみを乞うしかない。